自治体のための災害時多言語情報伝達ガイド:準備から実施まで
はじめに:災害時の情報格差をなくすために
大規模な自然災害が発生した際、地域住民の安全確保は自治体の最優先事項です。しかし、近年増加している外国人住民の方々への情報伝達は、言語や文化の壁により大きな課題となることがあります。日本語での情報伝達が困難な方々に対して、適切なタイミングで正確な災害情報を届けることは、彼らの命を守るために不可欠です。
この課題に対し、多くの自治体で多言語対応の必要性は認識されているものの、「何から始めれば良いのか」「限られた予算や人員でどこまでできるのか」といった具体的な悩みを抱えている担当者の方もいらっしゃるかもしれません。
本記事では、自治体が災害時における外国人住民への多言語情報伝達を効果的に行うための、平時からの準備と、災害発生時の具体的な対応策について、実務に役立つ情報を提供いたします。
災害時多言語情報伝達の重要性と特有の課題
災害時における多言語での情報伝達がなぜ重要なのか、そしてどのような特有の課題があるのかを改めて確認します。
- 命を守るための必須情報: 避難指示・勧告、避難所の開設・状況、ライフラインの情報など、災害時に命や生活を守るための情報は、正確かつ迅速に伝達されなければなりません。情報が得られないことは、直接的に危険につながります。
- 情報の非対称性: 外国人住民の中には、日本語の読み書きや聞き取りに不慣れな方が多くいらっしゃいます。また、日本の防災システムや避難行動に関する予備知識がない場合もあります。これにより、必要な情報にアクセスできない、あるいは理解できないという情報格差が発生しやすくなります。
- 多様なニーズへの対応: 外国人住民といっても、使用言語、文化、情報入手手段、ITリテラシーは様々です。単一の言語や媒体だけでは、全ての対象者に情報を届けることは困難です。
- 緊急時の混乱: 災害発生時は情報が錯綜し、平時以上に正確かつ迅速な情報発信が求められます。限られた時間の中で多言語化作業を行うことは、大きな負担となります。
平時からの準備:災害に備える多言語対応体制づくり
災害発生時にスムーズな多言語情報伝達を行うためには、何よりも平時からの準備が重要です。
1. 外国人住民の言語ニーズ・特性の把握
地域に居住する外国人住民の国籍、使用言語、おおよその人数、居住エリア、年齢層などを把握することから始めましょう。統計データだけでなく、地域の国際交流協会や支援団体、自治会などと連携して、より詳細な情報を得ることも有効です。これにより、対応すべき主要言語や、地域特性に応じた情報伝達手段の優先順位が見えてきます。
2. 多言語情報発信体制の構築と関係機関との連携
- 庁内体制: 災害対策本部内の情報班において、多言語情報発信を担当する部署や職員を明確にします。可能な範囲で、多言語対応が可能な職員をリストアップし、役割分担を定めておくと良いでしょう。
- 外部連携: 地域の国際交流協会、NPO、ボランティア団体、大学、企業などで多言語支援が可能な組織・人材リストを作成し、平時から連携を強化します。災害時に通訳や翻訳協力を依頼できるよう、連絡体制や依頼手順について事前に協議しておきます。
- 通訳手段の確保: 災害時にも利用できる電話通訳、オンライン通訳サービス、あるいは地域で協力可能な通訳者リストなどを整備します。特に電話通訳サービスは、場所を選ばずに利用できるため有効です。
3. 多言語翻訳ツールの準備と活用訓練
近年、AI翻訳の精度は向上しており、多言語情報発信の強力なツールとなり得ます。
- 翻訳ツールの選定: 自治体で利用可能な無料・有料の翻訳ツール(ウェブサイト、翻訳アプリなど)を調査し、用途に応じて選定します。災害情報のような専門性が高い内容に対応できるか、緊急時でも安定して利用できるかなどを考慮します。
- 活用訓練: 選定したツールについて、担当職員が実際に利用する訓練を行います。機械翻訳の特性(直訳的になる、文脈によっては不自然になるなど)を理解し、必要に応じて「やさしい日本語」の原文を作成する、翻訳結果を確認・修正するなどのスキルを習得します。
- 用語集の作成: 災害関連用語や地域固有の名称など、機械翻訳では誤訳しやすい、あるいは地域住民に馴染み深い言葉について、多言語での統一訳をまとめた用語集を作成しておくと、翻訳の品質向上と効率化に役立ちます。
4. 災害関連情報の多言語化と周知
- 多言語版防災マニュアル・ハザードマップ: 地域特性に応じた防災マニュアルやハザードマップを主要言語で作成し、外国人住民が入手しやすい形で配布・公開します(ウェブサイト、SNS、窓口配布、地域の店舗など)。日本の防災システムや避難方法に関する基本的な情報も含めると親切です。
- 情報伝達媒体の検討と周知: 災害時に使用する可能性のある情報伝達媒体(自治体ウェブサイト、SNSアカウント、防災無線、エリアメール・プッシュ通知、広報誌、地域FM、防災アプリなど)をリストアップし、それぞれの媒体でどのような情報を、どの言語で発信する可能性があるかを整理します。これらの媒体について、平時から外国人住民に広く周知し、利用方法を説明する機会を設けることが重要です。
5. 地域コミュニティとの連携強化
外国人コミュニティのリーダー、国際交流団体、日本語教室、雇用主などとの連携を深めます。これらの人々は、災害時に外国人住民への情報伝達や安否確認、支援において重要な役割を担う可能性があります。合同防災訓練の実施や、情報共有のための連絡網整備などを検討します。
災害発生時の情報伝達:迅速かつ効果的な発信
平時の準備が整っていれば、災害発生時の対応はよりスムーズになります。
1. 迅速な情報収集と多言語化プロセス
- 情報収集: 気象情報、避難情報、被害状況など、正確かつ最新の情報を迅速に収集します。
- 翻訳・多言語化: 収集した情報を、事前に準備した体制・ツールを活用して多言語化します。緊急時には、まず主要な言語で、次にその他の言語で対応するなど、優先順位をつけることも必要です。
- やさしい日本語の活用: 専門用語を避け、誰にでも分かりやすい「やさしい日本語」で情報を整理することは、多言語化の元となる情報を明確にするだけでなく、日本語能力が十分でない外国人住民自身にも理解されやすいため、非常に有効です。
2. 複数の媒体を活用した重層的発信
特定の媒体に情報伝達手段を絞るのではなく、複数の媒体を組み合わせて活用します。
- デジタル媒体: 自治体ウェブサイト、公式SNS(Facebook, Twitterなど)、防災アプリなどを活用します。これらの媒体は迅速な情報更新が可能であり、広範囲に情報を届けやすい利点があります。ただし、情報格差がある層には届きにくい点に留意が必要です。
- アナログ媒体・人的支援: 防災無線、広報車による巡回広報、地域のFM放送、避難所での掲示、そして地域の支援者や通訳者による口コミなど、アナログな手法や人的支援も併用することで、デジタル情報にアクセスしにくい人々にも情報を届けることができます。特に、避難所では多言語対応可能なスタッフやボランティアの配置が望まれます。
3. 視覚情報の活用と簡潔な表現
緊急時には、長い文章よりも短く簡潔な情報、そして視覚的な情報が有効です。
- ピクトグラム・イラスト: 避難所、給水所、医療機関などの場所を示すピクトグラムや、災害状況、取るべき行動を示すイラストなどを活用します。言語に依存しないため、幅広い層に情報を伝えることができます。
- 地図情報: ハザードマップや避難所までのルートを地図で示すことは、土地勘のない外国人住民にとって非常に役立ちます。多言語対応した地図を提供できるとさらに良いでしょう。
- 簡潔なメッセージ: 緊急度が高い情報(「避難してください」「安全な場所に移動してください」など)は、最も重要な点を短い言葉で繰り返し伝えます。
4. フェイクニュース対策と正確な情報源の明示
災害時は不正確な情報やデマが拡散する可能性があります。自治体からの情報こそが正確であること、そしてどの媒体が公式な情報源であるかを明確に周知することが重要です。
課題と工夫:限られたリソースでの取り組み
多くの自治体では、多言語対応専門の部署や人員が限られているのが現実です。このような状況下で、効果的な多言語情報伝達を実現するための工夫をご紹介します。
- 優先順位付け: 全ての情報を全ての言語で発信することは困難です。まずは命に関わる最も重要な情報を、対象となる外国人住民の主要言語で迅速に発信することを優先します。
- 外部リソースの最大限活用: 国際交流協会、NPO、大学、企業の社会貢献活動など、地域にある外部リソースを積極的に活用します。平時からの関係構築が、緊急時の協力につながります。
- テクノロジーの活用と限界の理解: AI翻訳などのテクノロジーは、迅速な多言語化に貢献します。しかし、翻訳の正確性には限界があることを理解し、特に人命に関わる重要な情報については、可能な限り人手によるチェックや監修を行うことが望ましいです。用語集の整備は、機械翻訳の精度向上にも寄与します。
- 標準化とテンプレート化: 災害情報の定型的なメッセージ(避難指示、避難所開設など)について、あらかじめ多言語のテンプレートを作成しておくと、緊急時の作業時間を大幅に短縮できます。
おわりに:継続的な改善に向けて
災害時における外国人住民への多言語情報伝達は、一度体制を構築すれば終わりではありません。
- 訓練と検証: 定期的に多言語情報伝達に関する訓練を実施し、課題を洗い出します。実際の災害発生時や訓練で得られた教訓を元に、体制や手順を見直すことが重要です。
- 外国人住民からのフィードバック: 防災訓練後や避難所運営時などに、外国人住民から情報伝達に関するフィードバックを収集する機会を設けます。どのような情報が、どのような方法で伝わったのか、あるいは伝わりにくかったのかを知ることは、今後の改善に不可欠です。
- 他の自治体との情報交換: 他の自治体における災害時の多言語対応事例や工夫について情報交換を行うことも、新たな知見を得る上で有効です。
災害はいつ発生するか予測できません。平時からの地道な準備と関係者との連携、そしてテクノロジーの賢い活用により、災害時においても外国人住民の情報格差を可能な限りなくし、全ての住民の安全を守ることができる体制を構築していくことが、今の自治体には求められています。本記事が、その一助となれば幸いです。